計算違い

12/30(日)

 


 ○ミイラ見学
 ○トレインセメタリー
 ○列車はない

ミイラ見学

 朝早く起きて日の出の塩湖を見ようと思っていたのだが、これまでの疲労の蓄積か
朝起きたのは6時半で、すでに陽は上っており、日の出の塩湖を見ることは叶わなかった。

 集落のあるエリアの山の景色  登山中の景色1

 起きて朝食をすませてしばらくすると、ドライバーが今日の予定を話しに来た。今日は
まずこの集落のずっと上の方にあるミイラの安置されている洞窟へ行き、ここで昼食を
済ませてから出発して、途中で我々の停まりたいと思ったところに数箇所停まりながら
塩湖を出て3時半頃にウユニの街に戻るとのことった。

 上から見たウユニ塩湖1  放牧されているリャマ

 もう一組のグループはミイラの見学を昨日のうちに済ませており、朝食をとってしばらく
すると集落を去っていった。ミイラのあるところまではかなりの上り坂を登らねばならな
かった。
 標高の高い上体調が戻ったばかりということもあって、自分はかなり休み休みで他の
メンバーの後を追いかけながら、1時間ほどでなんとかミイラの置かれているところまで
たどり着いた。ミイラは昔ここに住んでいた人達のものらしく、洞窟の中には生活用品
なども転がっていた。こんな過酷な土地で生活していくのはさぞかし大変だったことだろう。

 ミイラ  上から見たウユニ塩湖1

 なお、ここへ行くまでに嫌な事が一つあった。ミイラの洞窟は鍵がかかっており、鍵は
地元の人間にお金を払ってはじめて貸してもらえるというものだった(1人2ボリ)が、
その鍵を管理している人がいかにも金に汚いという態度でとても不快だったことだ。
こんな素朴な集落にも拝金主義は確実に浸透しているのだ。

 

さらばウユニ塩湖


 集落のある場所  湖岸

 ウユニ塩湖1  ウユニ塩湖2

 ウユニ塩湖3  ウユニ塩湖4

 下まで降りてきてしばらくの間はまたも塩湖の湖畔で過ごした。今日は昨日以上に快晴で、
湖の景色もとても素晴らしかった。今日夕方まで居られれば昨日以上の景色が見られたかも
しれないと思うと、あと数時間後にここを去ることがとても残念だった。

 ウユニ塩湖5  ウユニ塩湖6

 そのうち昼食の時間になって昼食を食べて少し休んでから、いよいよ出発の時間となった。
名残惜しい集落を後にし、途中2箇所程で車を停めてもらって外に出て写真を撮ったりして
過ごした。そして、塩湖を出てもと来た道を戻り、ウユニの街に着いたのは午後3時過ぎ
だった。

 ウユニ塩湖(白い大地1)  ウユニ塩湖(白い大地2)


 街に着いてツアーメンバーの女性2人とは別れた(彼女達はスクレへ行くと言っていた)
が、Jillとは行動を共にすることにした。というのは、彼の行き先が私と同じラパスで
あり、彼は今夜の列車でオルーロ経由でラパスへ行くと言っていたからだった。
 この、列車というのが私には実に魅力的に聞こえた。行きと同じバスの旅はそう何度も
経験したいものではないし、列車があるならそっちで行きたいと思った。
 列車の方がバスより安いらしいし、ロンプラを見ても夜1時過ぎに列車があることが
書かれていたのですっかり列車で行くつもりになっていた。これが大きな判断ミスになる
とも知らずに。

 

トレインセメタリー

 列車に行くことに決めたことで、昨日買っておいた今晩のラパス行きのバスチケットは
払い戻してもらい、列車の出る時間の夜中までJillと時間を潰して過ごすことにした。
 まずは、ウユニの見所の一つであるトレインセメタリーへ行くことにして駅の線路沿いを
トレインセメタリーの場所に向かっててくてくと歩いた。
 トレインセメタリーとは、その名の通り列車の墓場であり、用をなさなくなった列車や
機関車が沢山打ち捨てられているところだ。モニュメントとして結構絵になっていることから
ウユニ塩湖を訪れる観光客で時間のあるものは結構ここを訪れているらしい。

 トレインセメタリー1  トレインセメタリー2

 トレインセメタリー3  トレインセメタリー4

 トレインセメタリー5  トレインセメタリー6

 ロンプラには、ウユニの町から1km程と書かれていたが、実際には結構遠く歩いて
30分程かかった。ここには昔に打ち捨てられてさび付いた機関車や車両が沢山転がって
おり、何ともいえない風景を形成していた。ボリビアの鉄道は昔はもっと路線があったの
だが財政難で廃れてしまい、今ではオルーロからウユニを通ってチリ側へ抜けるこの路線と
サンタクルスからブラジル側に抜ける路線とあと幾つかがあるくらいだそうだ。
 ボリビアだけでなく、南米の鉄道はいずれも財政難から廃れてバスやトラックにその座を
奪われてしまっており、今もまともに機能しているのは観光用のペルーのものを除けば
ブラジルくらいということらしい。Jillも言っていたが、鉄道が廃れてしまう国は
発展するのが難しいというのはその通りに思う。確かに車でも用は足りるかもしれないが、
大量の物資輸送となるとやはり鉄道にはかなわないだろう。
 Jillは他にも面白いことを言っていた。ボリビアはかつては今よりも領土が広かった
のだが、いずれも近隣諸国との戦争で領土を失ってしまったらしい。特に痛かったのが
チリとの戦争で、この戦争に敗れたことでボリビアは海岸線を失ってしまったそうだ。
 海があれば鉱物資源に富む国なので港から輸出もできて国も発展しただろうに。その
復讐を誓ってか、海のない今もボリビアには海軍があり、チチカカ湖に駐屯しているのだ
そうだ。とはいえ、どう考えてもチリやペルーに勝つのは無理だろう。

 トレインセメタリー7  トレインセメタリー8

 

列車はない

 トレインセメタリーで1時間近く過ごしてウユニの町に戻ったときには5時半近くだった。
(ちなみにトレインセメタリーを見に行く間荷物はJillがウユニツアーを手配した駅
 近くの旅行代理店で預かってもらった。)

 ウユニ郊外の景色  ウユニ駅

 それからカフェに入ったりレストランで夕食をとったりして12時近くまで粘っていたが、
困ったのは鉄道についての情報がいいかげんなものしか得られていないことだった。トレイン
セメタリーを見に行く前に駅で列車の情報を得ようと思ったが、駅舎のドアに鍵がかかって
おり中に入ることができず、近くにいた軍人に駅舎はいつ開くのか聞いてみると5時頃との
ことだった。
 ところが、トレインセメタリーから戻ってきても駅舎は開いておらず、近所の店の人に
聞いても8時だとか今日は列車はないとか言う始末でどれが本当かさっぱりわからない。
 信用できるという駅近くのバーの主人にJillが聞きに行ってわかったことによれば、
駅舎の開くのは列車の出発1時間前くらいなので、夜の12時になったら開くだろうとの
ことだった。
 レストランで閉店近くの12まで過ごして駅舎に行ってみると確かに開いており、列車を
待つらしき数人の人たちが中にいたが、全て地元の人で観光客らしき人は一人もいなかった。

 しばらくしてやっと1時頃になって窓口が開いて切符の販売をはじめたが、そこで
Jillが急に不安げな表情になって、「オルーロ行きを買う人が誰もいない。」と言い
出した。そのうち自分達の番が来てオルーロ行きを買いたいと言うと、何と係員は
「オルーロ行きは今日はない。明日の夜だ。」とあっさり言い放った。
 何と、我々は大きな勘違いをしていたのだ。オルーロ行きは夜の1時40分にあるが、
それは明日の夜のことだったのだ。駅舎内に貼ってある時刻表を見てみると、そこには
確かに日曜日の欄に列車の時刻が書かれていたが、注意書きがあり翌日の夜と書かれていた。

 何と言うことだ。この時刻表をもっと早く見ていれば間違えることはなかっただろうに。
ギリギリまで駅舎に入れなかったためこの時刻表を見られなかったのは物凄く痛かった。

 時刻表(一番下の数字が乗ろうと思っていた列車のダイヤ)  ウユニ−オルーロ間の料金表示


 もう今からでは当然バスもないし、今夜はこのウユニの町に泊まるしかなかった。駅前に
あるロンプラにも書かれている安宿Avenidaに、Jillと一緒に行き、部屋を
シェアして泊まった。(一人30ボリ。)
 とんだ計算違いのせいで思わぬ足止めを食らうこととなった。


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