高原バスの旅

12/26(水)

 


 ○バスで移動
 ○地元の祭り
 ○プーノ

バスで移動

 今日はプーノまでバスで移動する日だ。プーノとはチチカカ湖畔の街でありクスコから
プーノへというルートもペルー観光の主流のようなルートである。
 クスコ−プーノ間の移動手段としては高原列車といわれる鉄道とバスがあり、ガイドブック
などでは鉄道の方についての説明が主に書かれている。だが、実際にはフジモリの統治時代に
この間の道路が整備されたおかげで今ではバスの方が快適な旅ができると言われている。

 この区間の鉄道の旅に人気があるのは標高4000m近い所を通りなかなか景色も良いから
なのだが、実の所バスも鉄道とほとんど同じ所を通るし、バスの場合途中にある幾つかの
遺跡にも寄ってくれるし昼食はちゃんとした食堂でとることができる。
 それに鉄道はサスペンションにやや問題があるので長時間乗っていると疲れるが、バスの方は
新しいきれいなバスなのでその心配もないし、所要時間も鉄道の場合フリアカで1時間近く
停まる分却ってバスの方がプーノへは早く着くなどバス利用の方が利点が多いくらいだ。


 バスの出発時間は朝7時とのことだったので、6時に起きて食事を済ませて身支度を整えて
チェックアウトのためフロントまで行くと、そこには3日前に食堂で会った日本人の女性と
その息子がいた。彼らも今日プーノまで行く予定で、泊まるホテルも一緒らしい。
 彼らとバスを待っていると、10分程遅れて迎えがやって来た。ホテルのある場所は
狭い路地でバスが入れないので、迎えの車でバスの停まっている広い道まで行き、そこで
改めてプーノ行きのバスに乗り込んだ。

 バスは途中幾つかのホテルに寄って客をピックアップして、クスコへ向けて出発した。なお、
途中で乗ってきた客の中に昨日ワイナピチュ山の途中で会った少し年配の日本人男性がいたが、
何とこの人は私と一緒のホテルだった日本人親子とも顔見知りだった。まあ日本発の人は休みが
大体同じ時期からで、クスコからマチュピチュ、そしてプーノへというルートはペルー観光の
メインルートなのでこうして旅の途中で出会った人と再び顔を合わせるとうこともあるのだろう。
 実際自分もこの人だけでなくこのプーノへ行くバスの旅の途中でSさんと数回すれ違ったし。


 クスコからのバスは快適だった。道はしっかりした舗装道路でバスにはトイレも付いており
途中で何度かマテ茶のサービスもあった。バスには運転手以外にガイドが乗っており、この
ガイドが途中の遺跡見学などの世話をしてくれた。
 クスコを出てしばらくは天気も今一つだったが、だんだん晴れてきて車窓から高原地帯の景色を
見ることができた。途中にある壁やブロックには時折「TOREDO」「GALSIA」などと
書かれた落書きが見えた。そういえば、つい半年程前まではこの両者が大統領を争っていたのだ。
 結局のところトレドに落ち着いたのだが、フジモリ時代の良いものは継承して再びペルーが
旅行者にとって危険極まる国になるのだけは避けてもらいたいものだ。


 バスはクスコの街を抜けてしばらくして古い教会の前で停まった。ここが今日最初の見学場所
だった(見学料2ソル)。中はスペインがインカを攻め滅ぼした頃の典型的なカトリックの教会で
古ぼけていたが中は結構きれいで、ここが今も使用されていることを思わせた。

 車窓の風景  最初に立ち寄った教会

 次に立ち寄ったのはインカ時代の遺跡だった(見学料2ソル)。ここは居住区や農地跡の壁の
部分だけがのこっているものだったが、少し離れたところには外敵の侵入を防ぐための石垣が
万里の長城のように(ガイドはこう説明したが、これは少し大げさだと思う。)連なっていた。
 ちなみにこのすぐ近くをクスコからプーノへ向けての列車が走っていた。

 次に立ち寄った遺跡  遺跡にいたアルパカ

 遺跡付近を走る高原列車  長城

 そうしているうちに昼近くになり、バスはある集落に入ってそこにある小奇麗な食堂の前に
停まり、ここで昼食タイムとなった。昼食はバイキング形式で好きなものをとってよく、
充分満足できた。列車だったらこんなのんびり食べることはできなかっただろう。
 
 食事を終えて再びバスは走り出した。集落を抜けてからは、背丈の低い草原が広がり
その向こうには山という、まさに高原地帯という景色が続いた。そのうち、高原列車の通る
最高所(標高4314m)に来ると、ここでバスは一旦停止した。
 外に出てみるとさすがに少し歩いただけでも息切れを感じた。ここは路線の最高所という
ためだけの観光駅があり、そのため土産物売りが数件店開きをしていた。ここでは写真だけ
とってすぐにバスに乗り込んだ。

 最高所付近の景色  標高4314m地点

 高原列車最高所の駅  最高所を走る列車

 

地元の祭り

 最高所からしばらく橋走って次に立ち寄ったのはプカラの町だった。ここでははじめに
街の中を通って遺跡に向かったのだが、街では何か祭りがあるらしく派手な衣装を着た地元の
人達が道を歩いているのが見えた。

 プカラの遺跡  プカラの街

 プカラの遺跡は先に寄った遺跡よりは建物らしきものはなくかなりコンパクトな感じだった
(見学料3ソル)。ここの見学を終えて本来ならそのままバスで移動するところだったようだが、
同行のアメリカ人男性がさっきの祭りを見てみたいとガイドに申し入れた為、祭りを見ることと
なった。
 祭りはどんな種類の祭りだったかは聞き忘れたが、なかなかにぎやかで面白いものだった。
ちなみにここでもSさんとすれ違った。

 街のお祭り1  街のお祭り2


 プカラの集落を抜けてしばらくするとフリアカの街に着いた。といってもここは通り抜けた
だけだったが。
 このフリアカの街はペルー第二の都市アレキバ方面からの列車とが交わる地点になっており、
この地方唯一の空港があることから街としてはかなり大きな街である。
 だがここを通過する観光客は多いがここで降りる観光客はほとんどいない。というのは
この街には特に見るべきものがないということもあるが、それ以上にこの街がかなり治安が悪い
ことで有名だからである。
 車窓から見たフリアカの街はごちゃごちゃしており生活感溢れる活気に満ちた街という感じ
だったが、歩いている人が地元民ばかりだった。やっぱり治安は今でも良くなさそうだった。

 ここから40分程走ると右手大きな湖が見えてきた。チチカカ湖だ。
  そろそろ夕方になりかけていた。

プーノ

 チチカカ湖の湖畔に広がるプーノの街をバスの中から見たときの第一印象は、名神高速から
琵琶湖湖畔に広がる大津の街を見たときのような感じに少し似ていた。遠くから見たチチカカ湖の
水はきれいそうに見えたが、湖近くを走ったときに見えた水はかなり汚かった。
 プーノの街は結構大きな街なので処理しきれない生活廃水が流れ込んでしまうのだろう。


 バスは湖畔沿いの道を走って乗客が泊まる予定のホテルで客を降ろしていった。街の郊外
にあるホテルから先にまわっていったので自分達の泊まるホテルが一番最後となった。
 ホテルEl Lagoは3つ星ホテルのかなりきれいなホテルで、チェックインしてすぐにオーナーの
ウギート氏が挨拶にやって来た。ウギート氏は夕食をとるのに適当な店を何軒か教えてくれたり
してかなりフレンドリーだった。

 ホテルで明日のバスについて聞いてみると、バスターミナルに行くのではなくホテルまで
送迎してくれるとのことだった。バスターミナルに着いたついでに翌日のウユニ行きのバス
チケットを買おうと思っていたのでこれは計算外だった。
 当日にでもチケットは買えるかもしれないが、治安の悪いといわれるラパスの町を歩き
まわるのもいやだったので、ラパスのホテルをお願いしたラパスの日系旅行社に手配を頼もう
と思い、担当者に国際電話をかけることにした。
 ちなみに翌日午後から酷い体調悪化でチケットを買いに行くどころじゃなかったので、少し
高くついたもののこの判断は結果的には大正解だった。

 チチカカ湖付近  プーノの街1

 プーノの街2  プーノの街の中心部

 ホテルに到着してしばらくすると陽が落ちて完全に夜になった。ここプーノも今は治安が
良くなったとのことだが、以前は首締め強盗が頻発していたと聞いていたので外に出るときは
かなり用心して出かけた。
 ホテルから10分程歩いて街の中心の繁華街まで行き、そこでラパスに電話してウユニ行きの
チケットの件をお願いし、ついでに夕食を済ませ。夕食はここでしか食べられないという
アルパカ(ラクダ科の動物で高地に住んでいる。ラクダというよりは羊の首を長くしたような
動物で、その毛は高級セーターの原料として重宝される。)の肉を食べた。アルパカの肉は
やっぱり羊の肉に似た味だった。


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