天空の城
12/24(月)
4時半のモーニングコールではじまったこの日。なぜ4時半かといえば、マチュピチュ行きの
列車の発車時間が6時で、駅までのピックアップの車の来るのが5時半、朝食の時間が5時と
いうことでそうなったのだが、前に書いたとおり夜中にほぼ1時間置きに目が覚めていたことも
あって、起床はスムーズだった。そして、幸い今のところ頭痛などの高山病の症状は出ていなかった。
身支度を整えて食堂へ行くと、やはり今日マチュピチュへ行くというイタリア人の男性が
朝食をとっていた。彼は日帰りとのことで、駅までの車は一緒だったがそれ以降は別行程と
いうこともあって顔を見ることはなかった。
5時半近くになってエージェントがやって来て、今日の列車とマチュピチュの入場券、
アグアスカリエンテスからマチュピチュまでのバスの往復チケットとホテルバウチャー、
明日の列車の切符がセットになったものをくれた。
そして5:40頃にホテルを出て駅に向かった。今日はクリスマスイブで、イブの日にはアルマス
広場周辺にクスコ近郊から来た物売り達が露店を開いて大きな市が立つらしい。
そのためアルマス広場前の道は車両進入禁止となっており、駅へ行くには回り道して行かな
ければならなかった。(アルマス広場の近くを通ったとき、朝6時前というのに沢山の露店と
人で賑わっているのがちらっと見えた。)
クスコの駅周辺は露店が多く人で賑わっていたが、どちらかといえばごちゃごちゃしている
という感じで、駅の駐車場の入口には鉄のドアで駅に用のある車だけを入れるようにしていたりと、
確かに柄の良くなさそうな感じだった。
駅へ着いたのは列車の出発10分前で、既にほとんどの人が列車に乗り込んでいた。自分の
席はラッキーなことに座席番号1番だった。というのは、座席配置は真ん中の通路を挟んで
2席ずつの横並びだが、先頭は運転席なので、運転席の横の1,2番席は文字通りの先頭車両の
一番前の席となるからだ。
おかげでアグアスカリエンテスまでの約3時間半はインカの聖なる谷や緑の渓谷の素晴らしい
景色を存分に堪能できた。こればかりは、座席を確保してくれたエージェントには大感謝だ。
ちなみに、自分の隣はイスラエル人の年配の男性だった。
列車はまずはスイッチバックを繰り返してクスコの街を囲っている山々を越えてゆき、
高原地帯を抜けてからは谷沿いを進んでいった。マチィピチュはクスコよりも1000m近く標高が
低い所にあるため、クスコ盆地を形成している山々を越せば、その後は平地と下りが続くこと
になる。これがクスコで高山病になってもマチュピチュへ行くと治るといわれる所以である。
クスコの山々を越えるところについてはスイッチバック方式を取っていて、坂の途中で一旦
停止して、次にはこれまで最後尾だった車両が先頭車両になって登るというのを繰り返していく。
峠を越えると暫くはのどかな田舎の景色が続く。特に今は雨季なので周りの木々は皆緑に
色着いておりとても素晴らしい。雨季はあまり旅行には向いていないと言われるが、こんな
景色を見ると雨季も決して悪くはないと思えてくる。まあ、それも晴れていればの話かも
しれないが。
線路の横では牛や豚などの家畜がほとんど放し飼いのような状態で飼われており、のほほんと
線路沿いで草を食べていたり、中には線路内に入ってきたりしていたが大抵は列車の鳴らす警笛で
線路から出て行っていた。
その後暫くは同じような景色が続いたが、横に渓流といった感じの川が見えるようになると、
今度は渓谷の中を進んでいくことになる。そして、この景色はマチュピチュまで続くことになる。
横に見える川はウルバンバ川といい、マチュピチュの麓を流れているのと同じもので、この川を
流れる水はやがては南米一の大河アマゾン川へと流れ込む。
そして、列車が谷合を走るようになってからのマチュピチュへ行くまでの途中に通るのが
インカの聖なる谷といわれる地域だ。このあたりはインカ帝国の首都クスコから近いこともあって、
途中の列車駅でもあるオリャタイタンポ遺跡に代表されるインカ時代の痕跡を伝えるものが幾つも
ある。
列車がオリャタイタンポの駅に着いたのはクスコを出てから約2時間後だった。列車が停まると
列車を待っていた物売り達が両手に手編みの民芸品や土産物や食べ物などを持ってやって来た。
ここではそれほど長く停まるわけではないため、物売りとの交渉は列車を降りずに窓越しで
することになる。ここでも車内の観光客が窓越しに食べ物などを買っている光景を見かけた。
このオリャタイタンポ駅と、峠を越えて暫く行ったところにあったイクスチャカ駅には
それなりのホームがあり列車も停車したが、それ以外の途中に幾つかあった小さな駅らしき
所には停まらなかった。これらには地元のローカル列車は停まるのだろうが。
ちなみに自分の乗った列車は観光列車(利用者が観光客ばかりなのでこう言われている。
もちろん値段は高い。)のうちでも良い方のツーリストクラスと言うこともあってか、朝食が
出たしドリンク(お茶)のサービスも2度あった。また、乗務員がマチュピチュのガイドブック
の車内販売も行っていた。
列車はオリャタイタンポより後は雨季で水量の増したウルバンバ川を横に見つつ、緑の渓谷を
ゴトゴトと進んでいった。車内に流れるフォルクローレの音楽をバックに、だんだんマチュピチュ
に近づいていることに気分も盛り上がってきた。そして、9時半過ぎに、列車は終点のアグアス
カリエンテス駅に到着した。
アグアスカリエンテス駅からマチュピチュまでは連絡バスで行くことになる。バスは
ウルバンバ川の横を少し走って川を渡った後、未舗装路のつづら折れの道を進んでいく。
この道はマチュピチュ発見者の名を取ってハイラム・ビンガムロードと呼ばれており
下りの際には有名なグッバイボーイを見ることができる。なお、バスに乗ってからマチュピチュ
までの所要時間は約20分だ。
ところで、列車がアグアスカリエンテスに到着する少し前に自分の申込んだツアーのガイド
らしき人物が席まで確認に来て、自分に紙を渡して去っていった。その紙には、
「駅に着いたらホテルのボーイが宿泊客の荷物を受け取りに来ているが、ボーイに荷物を
渡したらすぐにバスに乗ってマチュピチュ入口まで行くように。間違ってもボーイに
くっついてホテルまで行ってしまわないように。」
と書かれていた。こんな紙を渡すのも、間違ってそのままホテルへ行ってしまい、ツアーから
はぐれてしまう客がこれまでに少なからずいたからなのだろう。
列車が駅に着いて列車を降りて駅舎に入ると、駅舎の中にはそのとおりに各ホテルのボーイ達
がやって来ていたが、自分は主な荷物はクスコのホテルに置いてきていたので素通りしてバス
乗り場の方に向かった。
バス乗り場には小奇麗なミニバスが数台停まっており、客を乗せて満員になると順次出発
していった。バスは何台も並んでいたので、1本遅らせて窓側の席を確保して上に向かった。
バスがハイラムビンガムロードを上って終点近くまで来た時、進行方向右手に何やら遺跡っ
ぽい石段の一部が見えてきた。それがマチュピチュだった。確かに、ここまで上がってくるまで
遺跡の影すら見えなかった。
バスはマチュピチュ遺跡のすぐ横にあるホテルサンクチュアリロッジの前で停まった。
ちなみにこのホテルは立地条件が良い分宿泊料はとても高く(1泊約3万円)、おまけに
ハイシーズン時には予約が物凄く困難というホテルだが、早朝の人のいないマチュピチュや
日の出時のマチュピチュを見たいという人はわざわざここに泊まるらしい。
(アグアスカリエンテスからの連絡バスは朝一のものでも6時半から。)
遺跡の入口のところには小さなカフェがあって、その下にはトイレと手荷物預かり所が
あった。ここで、遺跡見学には不要な荷物を預けて入口の所でしばらく待っていると、ガイドが
やって来て参加者を点呼し始めた。私の参加したツアーは30人近くの人がいて、何組かいた
ツアーの中でも最も人数の多いツアーだった。
マチュピチュについては今更説明の必要もないだろう。数ある世界遺産の中でも 間違いなく5本の指に入ると言う旅行者も多いほど人気の高く、ペルーを訪れる 観光客でここに行かない人はいないのではないかというくらい有名な遺跡である。 ペルーが世界に誇るこのインカの遺跡は、インカの都市造りの素晴らしさを完全 に近い形で残しているということで、観光面のみならず学術面でも非常に価値の 高い遺跡である。 発見当時のインカの要塞都市ビルカバンバ説(スペイン軍に首都クスコを征服 されたインカ帝国の人々が、帝国再興のため建設し抵抗運動を行う拠点となった 都市の名前。クスコ近くにあると言われていたがずっと発見されずにいた。) こそ誤りであることが確実となったが、標高2000m以上の山の上に、何の目的 でこんな大規模な「都市」を建設したか、この「都市」の役割は何だったのか、 ここに住んでいた人達は何処へ行ってしまったのか など、マチュピチュを巡る 謎は未だに多い。 それに加えてマチュピチュの神秘性をより強調しているのはそのロケーションの 素晴らしさである。「都市跡」はマチュピチュという山(実は、マチュピチュと いうのは地元の言葉で古い山という意味で元々は遺跡の名前ではなかった)と ワイナピチュ(こちらは新しい山という意味)という山の馬の背部分に作られて おり、両横は谷となっている。そのため、朝方や雨の日などにガスが谷に溜まると 「都市跡」はまるで雲の上に浮いているかのように見える。マチュピチュが 「空中都市」とか「天空の城」とか「幻の都市」などと呼ばれる所以である。 そして、この「都市跡」は空中都市と言われるだけあって、山の麓からは まるっきり見えず、山頂近くまで登ってやっとその全貌をみることができる。 マチュピチュまでの交通手段は今でこそハイラム・ビンガムロードと呼ばれる つづら折れの道があるが、ここが都市として機能していた頃にはそんなものは勿論 なく、マチュピチュ山中の山道を通って外界と行き来していたらしい。この道は インカ道と呼ばれ、今はオリャタイタンポの先あたりからのトレッキングルート となっていて、3泊ほどかけてマチュピチュまでのトレッキングを楽しむ観光客 も多い。 マチュピチュにおけるインカの都市造りの素晴らしさをしのばせるものとしては、 インカの土木技術の象徴といわれる精巧な石組技術による石垣の数々や整然と 並んでいる段々畑、そして何と言ってもこんな山の上にもかかわらず水道施設が 整備されていたことなどだろう。 なお、地球の歩き方には、昔ここには1万人くらいの人々が住んでいたと 書かれているが、それは誤りで実際には600人程度だったらしい。 |
バスに乗り込むとき横を見るとインカの民族衣装を着た少年が目に留まった。グッバイボーイだ。
バスが発車するとグッバイボーイはつづら折れの横にある階段の道を駆け下りていった。
そして、はじめの角のところで出てきて、まず「Adios!」と叫び、次にバスの反対側に
向かって「グッバーイ」と叫んだ。
その後、つづら折れのところで数度これを繰り返し、つづら折れを下りきってウルバンバ川に
かかる橋を渡る前のところでバスに乗り込んできた。子供特有の高い声はけっこう耳に残る
印象的なものだった。
グッバイボーイはバスに乗り込むとチップを入れるための袋を下げて乗客の席をまわっていった。
ちらっと見ただけだが、ドル札やソル札を出している人もいたし、コインを出している人もいた。
特に幾らくらいというのは決まっていないようだった。
麓まで下りてくると、アグアスカリエンテスの露店が並んでいるところの入口でバスを降りて
まずは今夜宿泊する予定のホテルへ向かった。
ホテルはローカル列車用の駅のすぐ前にあった。ここは観光客用の列車が停まる駅とローカル
列車用の駅とは別になっていて(当然ながら観光客用の駅の方が立派)、ローカル列車用の駅は
駅というよりはただ単に線路の両端にホームのようなものが並んでいるだけなのだが、面白いことに
このホームの前にはレストランやホテルなどの店がずらりと立ち並んでいるのだ。ホテルは
その中の一つにあった。
ホテルへチェックインして、まず温泉に行くことにして温泉までの行き方をホテルの人に教えて
もらい、水着と風呂セットだけを持って温泉に向かった。
ここアグアスカリエンテスは温泉街である。そもそもアグアスカリエンテスという名前自体が
スペイン語で温泉を指すものなのだ。(アグア=aqua=水、カリエンテ=caliente=熱い,温かい)。
温泉は街(とういうにはあまりに小さいが)の中心であるアルマス広場の右横の道をひたすら
真っ直ぐ行ったところにあった。道の両脇に立ち並んでいた店が途切れた所に、まるで関所のような
感じの受付の建物(といっても単なるプレハブだが)があり、温泉はその更に奥の上りの遊歩道を
5分以上歩いた所にあった。
遊歩道は川沿いに造られており、温泉も川沿いの少し小高いところにあって、なんか日本の
鬼怒川温泉とでもいったような感じでなかなか風情があった。
入口の横にある更衣室で服を脱ぎ(温泉内は水着着用)、その前にある管理所に荷物を預けて、
奥にある浴槽に向かった。ここは手前にいくつか小さな浴槽があって、その少し奥に
10m×10mくらいのやや大きめの正方形の浴槽があった。浴槽の前には日本の銭湯にある
富士山の絵宜しくマチュピチュの絵が掛けられてた看板が飾られていた。浴槽の更に奥には軽食が
とれるようなちょっとしたカフェがあった。
浴槽は四方こそセメントで固められていたが、底は砂利を敷き詰めたような感じだった。入りに
来ているのは観光客が多かったが、中には現地人らしき子供や家族連れも結構いた。湯はぬるいと
聞いていたが確かにその通りだった。
とはいえ、温水プール並のぬるさというわけでもなく、まあ適温だったといってよいだろう。
他の浴槽はほとんどがこれより更にぬるい湯か水だったが、奥に一つあった浴槽は大浴場の湯
よりも熱かった。山奥の露天風呂ということで星空を期待したのだが、残念ながら曇っていて
星はあまり見えなかった。
ここで20分程過ごしてから温泉を後にして元来た道を宿の方に向かった。途中で道の両脇に
並んでいた土産物屋などでポストカードや飲み物などを買って一旦ホテルに戻り、夕食を食べる
ために再び出かけた。
街を歩いて店を何軒か見て、結局ホテルの近くの線路沿いのレストランで夕食をとった。詳しい
メニューがわからなかったので店員にお勧めを聞いて頼んだら肉とライスが出てきた。ライスは
少しパサっとしていたが、久しぶりに米を食べることができて満足だった。
(ペルーの人は結構米を食べる)
その後は特に外を歩いていても何もないのでホテルに戻ったが、朝早かったせいかすぐに眠く
なってそのまま寝た。
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