クスコ

12/23(日)

 


 ○深夜にリマ到着
 ○アンデスへ
 ○クスコ散策

深夜にリマ到着

 ダラスでの出発が1時間近く遅れたこともあって、リマに到着したのは予定より1時間遅い
AM2時過ぎだったが、どうせ朝まで空港で過ごさなければならかったのでこの遅延は問題には
ならなかった。リマのホルヘ・チャベス国際空港は海の近くにあるためか到着前に窓の外から
漁船の明かりが見えた。

 飛行機を出てイミグレに行ったら入国審査官にいきなり「Cuantos dias?(何日滞在する
予定か。)」とスペイン語で尋ねられ、南米に来たことを実感した。
 それから預けた手荷物をピックアップする前にトイレに入ったのだが、ここでいきなり
ペルーの実態の一部を垣間見ることになった。というのはトイレそのものは綺麗だったが
トイレットペーパーが個室内になかったからだ。まあ、個室内にはなかったが、個室に入る
手前にトイレットペーパーが取り付けられておりそこで予め必要分だけ取って個室に入る
というシステムだったようだが。

 荷物をピックアップして税関を抜けるとその先にはタクシーの受付カウンターが並んで
いたが、今回はリマには寄らないので気に留めずに外へ出た。すると数人の白タクドライバー
に囲まれたがすぐにクスコへ行くというと皆大人しく去っていった。
 次いで旅行会社の呼び込みらしき女性に声を掛けられたが、この女性がYahoo!のペルー
談話室で話題になっていた例のキャッチセールスの女性だった。彼女は私にペルーでの予定は
決まっているかと聞いてきたので、私がペルーについては全てブッキング済みだと言うと
大人しく去っていった。
 彼女から聞いた話では、アエロコンチネンテの国内線カウンターが開くのはAM4時になって
からということだったので、それまで近くで待つことにして国内線カウンターの近くで待つ
ことにして、一旦建物を出て国内線のカウンターの方に向かった。
 一旦建物の外に出たのは、到着口と国内線チェックインカウンターとの間には国際線チェック
インカウンターがあるのだが、このエリアはロープで仕切られていてチケットを持っていないと
入ることができないからだ。

 リマのホルヘチャベス国際空港  空港内の到着口付近

 国内線のチェックイン開始までは、国内線の案内ボードのある前のベンチに座って待って
いた。横にはダンキンドーナツともう一つファーストフードの店があり、これらは夜中も営業
していた。ベンチの所には私同様に国内線のフライトを待つ人が座っていたが、そのほとんどが
現地のペルー人のようだった。


 4時前になるとアエロコンチネンテのカウンターの電灯が点き、待っていた人々が並び始め
たので自分も荷物を持って行列に並んだ。自分は前から20人目くらいで、自分の前には犬
(ビーグル犬)を連れた女性が並んでおり、自分の後ろにはこれまたラブラドールの仔犬を
5匹ほど連れた男性が並んでいた。2人とも犬を一緒に連れて行くつもりらしく、犬は檻に
入れられていた。
 チェックインがはじまってしばらくすると、犬は預け荷物になるので飼い主と離れなければ
ならなくなったが、それを自分は置いていかれると勘違いしたビーグル犬が悲しそうな声で
鳴き出したりして、ちょっとした騒ぎになった。

 無事アエロコンチネンテのチェックを終えて、フライトまでまだまだ時間があったので
空港の建物の写真を撮ったりしていると5時をまわったのでゲートへ行こうとして荷物
チェックの所へ向かった。ところが、荷物チェックの所で空港税を払っていないことを
指摘されて空港税を払いにチェックインカウンターのエリアにある銀行の窓口へ行ってみると、
そこは長蛇の列ができていた。
 丁度朝に他社便のフライトも集中しているということや、空港税支払いの窓口が1箇所
(実は国際線の方にもう一箇所あった)しかないということもあるが、この列がなかなか前に
進まずフライト時間まで1時間を切ってかなりイラつきながら並ぶ羽目になってしまった。
 この国内線にも空港税が要るということを忘れていたのは自分の大きなミスだった。

 結局空港税を払い終えたのはフライト20分前で、急いで荷物チェックを抜けて搭乗口まで
行き飛行機に乗ったときにはフライト5分前だった。
 飛行機は超満員というわけではなく幾らか空席が見られた。また、自分が最後の搭乗客と
いうわけではなく自分の後にも2、3人程乗ってきて、出発したのは6時よりも5分程後だった。


 飛行機は離陸するとリマ市内側ではなく海側を通ってアンデス山脈側に向かった。海側から
陸に入るとすぐにまわりは山ばかりの景色になったのは、ペルーという国がアンデスに栄えた
国であることを実感させた。
 窓の外にはアンデスの山々の素晴らしい景色が広がっていた。さすがに5000m級の山がごろごろ
しているだけあって、頂に冠雪している山も結構あった。早めにチェックインして窓側の席を
リクエストしただけのことは充分あった。この路線のフライトだけは早めにチェックインして
窓側のシートを確保すべきだろうと思う。

 アンデスの山並み1  アンデスの山並み2



アンデスへ

 しばらくすると、まもなくクスコへ到着するというアナウンスがあり、やがて薄雲の下に
クスコの街が見えてきた。話に聞いていた通り赤茶っぽい感じの街で、盆地に広がる街の風景は
なかなか見応えがあった。

 クスコ上空  クスコ空港上空周辺

 空港では地方空港にありがちな、飛行機から直接地面に降り立つシステムではなく、
飛行機からブリッジを通ってターミナルに入るようになっていた。ブリッジからターミナル内
の通路を通って到着エリアまで行くと、アンデスの高地へやって来たのだという独特な空気を
感じた。それは地面に降り立って高地の空気をはじめて吸ったということもあったのだが、
もう一つ、到着エリアの所で地元の楽団が民族衣装を着てフォルクローレの曲を演奏していた
ことも大きかった。

 クスコ空港に着陸しているアエロコンチネンテ機  到着エリアでの楽団の演奏

 なにはともあれ標高3400mの高地にやって来たのだ。体を慣らすためになるべく無駄に
動き回ることは避けてターンテーブルの前で荷物が出てくるのをゆっくり待っていた。
 そして、荷物を受け取ってすぐ横のドアを通って出発カウンターに向かい、アエロコンチ
ネンテのリコンファーム(1/2のラパス−リマ線の分)を済ませて外に出た。


 外に出ると白タクドライバーが盛んに声をかけてきたが断って辺りを見渡すと、私の名前を
書いたプラカードを持っている人がいたのでそこへ寄って行き、そのまま車でホテルへ直行
した。日曜日で朝早いこともあってか街にはあまり人がいなかったが、何かのお祭りでも
あるのか空港の所にはちょっとしたパレードの一団がいてなにやら賑わっていた。

          クスコ空港の建物

 ホテルまでの道で迎えの女性が明日のマチュピチュツアーのことやクスコの街の事などを
話してくれた。そして、今日の午後からの近郊ツアーに参加できるけどどうすると聞いて
きたが、高山病対策の意味で今日はツアーに参加して動き回るのではなくゆっくりして
クスコの街を散策する程度に留めておこうと思っていたので断った。

 今のところ体はなんともないが、それは到着したばかりでまだ体内に酸素が残っていると
いうだけで、これで調子に乗ってツアーに参加したりして動き回った結果、夜に酷い目に遭った
というケースを結構耳にしていたこともあって、今日は極力ゆっくりしようと思っていた。


 ホテルは街の中心のアルマス広場横の道を抜けてクスコ特有の細い道を少し上がったところ
にあった。丁度ホテルのあるブロックの次のブロックが有名な12角の石のあるエリアで、
アルマス広場からも徒歩10分程と便利なところだった。

 クスコのホテルEULAKA  ホテル前にいたリャマ

 ホテルはまだ朝早いということもあり(まだ朝8時前)、部屋の準備ができていないとの
ことで、食堂で先の送迎の女性に明日の事やその後のプーノへ行くまでのことなどを説明して
くれた。
 ここではじめてコカ茶なるものを飲んだ。コカ茶とはその名の通りコカの葉を煎じた飲み物で、
味はちょっとツンとくるものがあるものの特に苦いわけでもなく日本人ならそれほど違和感なく
飲めるだろうと思えるものだった。

 そうして部屋の準備ができるまで食堂で待っていると、丁度横で食事をしていた日本人女性が
話し掛けてきた。この人は息子と2人で来ており今日はこれからピサックへ行くツアーに参加
するとのことだったが、この人も飯尾さんの手配でここへ来たとのことらしい。
 なお、この人達とは2日後のプーノまでのバスでまた一緒になった。

 そのうち部屋の準備が出来たので部屋に入りまずはシャワーを浴びた。高山病には風呂も
良くないそうだがさすがに長いことシャワーを浴びておらず気持ち悪かったのでシャワーは
我慢しなかった。
 そして、午前中はとりあえずゆっくりすることにして部屋でガイドブックを読みながら
クスコの街のどの辺りを見て回るかを考えたりしていた。いつもなら時間が惜しいのでホテルで
ゆっくり休むなんてことは決してしないのだが、この後下痢になったのを除いては特に高山病の
症状は現われなかったので、今回ゆっくりしたのは結果的には正解だったといえるだろう。



クスコ散策

 午後からはいよいよクスコの街を散策に出かけた。出かけるにあたっては、現地通貨と
クレジットカードだけ持って、パスポートやドルの現金などは部屋に置いていった。
 これは、クスコの街の治安を考慮してのことだった。今は大分治安も良いそうだが、
まだ街の様子がわかっておらす、未だ首締め強盗が出没するという話も聞いていたので
用心のためそうしたのだった。

 ホテルまでの道(上り坂)  サン・ブラス教会

 ホテルを出てまずは近くにあるサン・ブラス教会の前を通り、細い道を通ってアルマス広場
に向かった。途中に12角の石のある路地を通って博物館の前に出たが、日曜日ということも
あって博物館は閉まっていた。
 ちなみに12角の石とは、インカ特有のカミソリの刃一枚さえ通さないと言われる石垣を
構成している石の一つで、角が12あることから付けられた呼び名だ。
 だが驚くべきは12角の石そのものではなく、この石のまわりの石たちとこの石とがぴっちりと
隙間一つなく嵌め込まれていることだ。これなどはインカ帝国がいかに高度な土木技術を有して
いたかを示す良い痕跡だろう。

 裏通り1  12角の石

 ちなみに12角の石ほどではないにしても、このような精密に積み上げられた石垣はクスコの
街中にはいくつもある。元は建物の土台だったのだが、土台から上はスペインに征服されたときに
徹底的に破壊されたらしい。土台はそのまま使われたためなんとかインカ時代の面影が残って
いるのだが、新たにスペイン人によって作られた建物が地震で崩れたときにもインカ時代に
土台は無事だったという話がインカの土木技術の高度さを伝えるエピソードとして残っている。

 クスコの落書き  サント・ドミンゴ教会


 なお、今日は日曜日ということもあって博物館以外にも街の主要な観光施設や教会などは
軒並み閉まっており、結局この日見ることができたのはラ・コンパーニャ教会だけだった。

 だがそれでもクスコの街を歩いて街の空気に触れることができたのは大きな収穫だった。
機上から感じたとおり、クスコの街には独特の雰囲気があり、さすがインカ帝国の首都という
歴史を感じさせるものがあった。アルマス広場周辺の教会と石畳、遠くに見えるアンデスの
山々や麓に立ち並ぶ赤茶けた家々、そして道行く人々や時折見かけるインカの面影を残す石垣
などは、まさに「古都」というに相応しく、クスコ周辺はペルーの中でも最も良い所だという
意見が多いのも充分納得できた。
 時間の余裕さえあれば町外れにあるサクサイマワン遺跡へ行ったり、近郊の遺跡巡りツアーに
参加したりしてもっとクスコの街を満喫したいのだがそれができないのが残念だった。

 アルマス広場1  ラ・コンパーニャ教会


 アルマス広場前(地元の人達)  アルマス広場前(観光ポリス)

 街は観光客や地元のインデイヘナの人達でとても賑わっていたが、一方でBeggerも多く、
強盗などの犯罪発生率が高いのもわかるような気がした。といっても、街には観光ポリス
(観光客をガードすることを目的にしている警官でペルー特有。)が沢山居り、余程人気の
ない所へ行かなければ特に危険ということはなさそうだった。ただ、これくらい観光ポリスを
配置しないと治安が維持できないところに、この国の抱えている問題を見たような気もした。

 石畳  地元の子供たち

 人が多かったのは明日がクリスマスイブということもあったかもしれない。カトリックで
クリスマスというのは最も大切な行事だからだ。そのためかどうかは知らないが、夜でも
アルマス広場の辺りは人で賑わっていた。

 午後のクスコの街  午後のアルマス広場

 今日は結局街歩き以外は土産物屋をぶらついてペルーの伝統的な楽器であるサンポーニャと
フォルクローレのCDを数枚買っただけだった。ちなみに街にはATMが3箇所あったが、
そのうち1箇所はなぜか現金が引き出せず、もう一つは銀行の建物脇のATMだったが
ここには長蛇の列ができおり、結局このATMの向かいにあるATMでなんとか現地通貨を
引き出すことができた。(ちなみに引き出せたのはVISAカードのみ。)


 クスコの風景  山に刻まれたモニュメント


 夜は翌朝4:30起床と早い(マチュピチュ行きの列車が6時発のため)こともあって、かなり
早めに床についたのだが、なせか夜中にほぼ1時間置きに目が覚めた。頭痛などの高山病特有の
症状こそ出ていないが、これももしかすると高山病の症状の一つなのかもしれない。


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